【報告】3/11 横浜・気仙沼つながりフェア「Kesennuma,Voices.6」上映会×トークイベント参加

2018年3月1日(木)~3月11日(日)まで、「横浜ワールドポーターズ」(横浜市中区新港2)で、「海はつながる 港でつながる 人がつながる」をテーマに「横浜・気仙沼つながりフェア」が開催されました。
気仙沼の海の幸や水産業を横浜周辺の市民や飲食店にPRし、震災後7年を迎える気仙沼市の復興状況を伝えて気仙沼市への関心を持ってもらうことが目的でした。

2Fデッキストリートのヨコハマ・ポート・マーケット内 気仙沼PORTでは、「気仙沼 震災、そして復興へ」と題しての写真展が開催されていました(現在は終了)。11日はナビオス横浜前で、気仙沼への復興支援の募金をした方に、気仙沼の食材を用いた「めかじき鍋」500食、「ホルモン焼き」500食が振る舞われました。
  

その後、15時からワールドポーターズ6階で、映画監督の堤幸彦さんによる、3.11東日本大震災の被災地・気仙沼を撮影した映画「Kesennuma,Voices.6」の上映会と、復興支援を行っている3団体のトークショーが行われました。
この日は、団体として、かながわ県民センターでの「市民活動フェア」にも出展していましたが、株式会社気仙沼波止場の代表取締役の小野寺亮子さんからお声がけいただき、当団体からは伊藤、谷本が参加しました。他に「一般社団法人まるオフィス」の根岸えまさん、「Always with Smile」の吉埜さんと岩村さんという顔ぶれでした。

まずは「Kesennuma,Voices.6」の上映。震災後から毎年堤幸彦監督が撮られてきているドキュメンタリーです。舞台は気仙沼で、出演は、生島勇輝氏と生島翔氏。2人は、妹夫婦を津波に流されたアナウンサー生島ヒロシ氏の長男と次男です。気仙沼の今を生きる人たちとの交流を通して多くの証言を映像に残されてきています。
叔母一家を失うことで深く大震災に関わることとなった東京在住の2人。ボランティア活動の無力感と喪失感が色濃く表れていた第1作から6年。いまだに仮設で暮らしている人々や、新居を高台に建てる人々。さらに防潮堤や砂浜、漁業が抱える問題についても取り上げられていました。また、身内や大切な人を失った方々に、その人を“想って”手紙という形での“心の声”を記録。心の復興にスポットがあてられていた6作目だったのかなと思います(2017年作品)。ちょうどこの上映会の日に「Kesennuma,Voices.7」が完成したそうで、引き続き観たいなと思いました。

  

「Kesennuma,Voices.6」の感想を話した後は、参加された皆様に、各団体の現在の活動をお話しさせていただきました。

「一般社団法人まるオフィス」の根岸えまさんは、東京生まれ東京育ち。2015年、大学を卒業して気仙沼の唐桑町に移住。Pen.turn(”Peninsula turn”の略で「半島移住(Iターン)」の造語)女子、として現地で活躍中です。
「Always with Smile」は「音楽をきっかけに仲間を増やし、その絆でたくさんの人々をつなぎ、何か起きた時には「いつも笑顔で」自然に助け合えるネットワーク作りを目指していきたい」と活動されていて、現在も気仙沼や女川を定期的に訪れています。今回も会場で「花は咲く」をみんなで歌いました。
当団体は、当初はボランティアバスで大勢の人たちと訪れ、活動してきましたが、現在は被災地の皆様から学んだことを神奈川で活かさなければならないと、学校での防災教育や地域での防災啓発へと力を入れていることをお話ししました。

支援・応援の形は様々あります。「Kesennuma,Voices.6」を奇しくも3月11日に観たことで、当団体の活動を見直し、推進していく意義を改めて考える貴重な時間となりました。
今回、お声がけいただきました小野寺亮子さんに改めて感謝したいと思います。