【報告】東北未来フォーラム「復興からまちづくりへ」パネルディスカッション

※この記事は東北未来フォーラムの中のパネルディスカッションに関する記事です。
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【パネルディスカッション】
多田さんの基調講演を踏まえて、多田さん、阿部さん、八木さん、かながわ県民サポートセンター所長・坂井氏とのディスカッション
(司会 かながわ311ネットワーク代表理事:伊藤朋子)


岩手県 大槌町からCe-Cafe オーナー阿部敬一さん

宮城県 女川町から一般社団法人コミュニティスペースうみねこ 代表 八木純子さん

※ここからはディスカッションで出た会話をダイジェストで書いていきます。

阿部
現在49歳です。Uターンして8年ぐらい経ったときに震災がおきました。かつて阪神淡路大震災も大阪で経験しました。
阪神淡路の当時、何もできない自分を痛感して、その後、何かできる自分になりたいと思い、活動してきたときに3.11に遭遇というタイミングです。
変な話だけど出番が来たと思った。仕事はとりあえず置いて、今できることをやってきました。

地元の若い人たちを中心に「おらが大槌ひろば」を展開、現在はCe-Cafe(農家レストラン)を運営しています。
夢広場のツーリズムは人が増え続けています。リーダーシップ研修を企業と展開もしています。その中で、農業や食の部分を体験を担当しています。
震災時は1000人以上の炊き出しも経験、そこで食のあり方をあらためて考えたんですね。食べて生きる力を学び、培うことが大事と思い、活動しています。

八木
震災以降3つのことをやってきました。
1.自分の実家……全壊した自分の実家で唯一残った物置をボランティア含めたくさんの人の力を借りてカフェ・ゆめハウスにした。
ここでは地元の14名の人が働いています。高齢者のほかに、20〜30代が6人ぐらい働いています。

2.高齢女性の仕事……震災当時、「明日から何すればいいか。なぜ生き残ったのか」。そう悩む人たちに生きがいとなる仕事をと考えて、古着Tシャツを使って布草履を作ってきました。

3.高齢男性の仕事……漁師だった男性が、仕事を失い、家族も資材もなくしてしまいました。家に閉じこもりがちだった男性たちに農業をやろうと勧めました。女川には農家がないんです。だからちょうどいい。
ボラ含むたくさんの人の手を借りて荒れ地に畑を開墾し、イチジクの木を140本植えました。唐辛子、ニンニク、イチジクを作ってます。なぜそれらの作物かというと、高齢者に重くなく扱いやすいものだから。
イチジクの葉っぱでお茶も作ったんですよ。

坂井

私はあの年、県職員のバス第1便にも乗りました。神奈川が出したバスに何回も乗っています。
県サポは災害との関わりも深い機関でして、災害時には災害救援ボランティア支援センターを作ることになっている。
3.11のときに神奈川の被害はほとんど無かったが、ボランティアに行きたいという人たちの声を受けて、かながわ東日本大震災ボランティアステーション事業を設置しました。
県内に避難してきた人の支援や、バス運行、金太郎ハウス開設などをやってきました。

バスに何回も乗ったのは、職員にもっと広めたいと思ったから。それに応じて手を挙げた人たちでバスを仕立てて東北へ行ったりもしました。
がれき撤去が終わった後、金太郎ハウスは解体されたが、ずっと見守っていきたいと思っていて、今度もまたバスを仕立てる予定でいます。
今思うのは、強いつながりではなく、緩い集まりであることが大事だと思うんです。桜を見にいこうよというような呼びかけもアリかなと。
私自身は、これからも東北の支援に関わっていきたい。

伊藤
神奈川として、6年経った今、何ができるのかずっと考え続けています。
ここでお伺いしたいのですが、どんな形でなら、関わっていけるのでしょうか。

多田
全部を解決することは無理ですよね。やれることをやる。今日のような、こういう紹介をしてもらうこと自体大事だと思います。
今日、ほかの土地での取り組みのお話も聞いてみて、希望を作ることが俺たちの仕事だなと思いました。
今、就労支援をやっていて、釜石市、大槌にセンターを作ったんです。
やることで一石なんちょうにもしたいなと思います。

ところで、人口の10%は障害者なんですよ。それは障害者は土地を出ていけないから。
彼らだって、仕事をしなければならないでしょう?何を作るか?売れないものを作ってもしょうがない。今度は芸術の部分もやろうかなと思っています。
障害者の人が描いた絵を掲示したカフェで絵も売るような形です。
そういうときに神奈川は力になってくれるのでは?と思いますが、どうですか。

伊藤
逆に難しいお題をもらってしまった(笑)。ところで教育の問題で街を出て行く人も多いと聞きますが、阿部さんどうですか?

阿部
親の都合で今借金して家を建てても、子どもは戻ってこないかも知れませんよね。親世代が今50代だと20〜30年ローンを組んでも一代では払いきれないでしょう?子どもに引き継げないなら出て行こうかとなりますよね。
根深い問題です。
さらに、交通インフラがまだ整ってなくて通学できない、釜石に行きたいけど交通機関がない。そこで街を出て行くという選択も出てきます。

八木
家が残ったかどうかってすごい境目で、育英資金は家がない方がもらえるんですよ。
逆に家がある方が何ももらえない。自分の子どものこというと、大学進学に失敗しました。親も仕事が減って、できれば国立に行って欲しいという風になります。でも難しいんです。だって、
家があるので、予備校も、寮にも入れない(援助がない)。そのために家があることで人生が変わった。こういう子どもたちがたくさんいると思います。

伊藤
必要な人に支援が届いていない?

八木
行政はラインを引かなければならないのだけど、そこで引かれたラインが現状とあっていないと感じる時はありますね。

伊藤
大槌では仮設住宅6年目という人もいる中、本来2年で仮設住宅の耐用年数が切れるのに、そこにまだいなければならない。そこのところで私たちができることはなかなか難しいけど、
一方で、東北を学びとして、神奈川で次に起こる震災に備えて学び、備えていくのはやっていきたいし、やっていかなければと思っています。
ということで、311ネットでも防災教育に力を入れています。

八木
私たちの「ゆめハウス」には、1日20人ぐらいランチを食べに来ますけど、工事関係者がほとんどなんですね。
カフェをやってるスタッフは70〜80代ですよ。工事が終わったら、カフェを閉じようと思ってます。
そのあと、おばあちゃんたちはどうするか、ゆめハウスはどういう場にするのかを考えなければ。
そういう意味で、今はすごく転換期なんです。
ものは作っていきます。それを買ってもらいたい。それによって、東北では仕事ができます。何ができるかの一つに、買い物もあるって、覚えておいてください。
そのために私は全国のいろんな学校に通って講演したりして、話をしながら商品の紹介もするようにしています。

伊藤
商品開発ということでは、阿部さんもやってらっしゃいますよね。

阿部
今やっているレストランはオーナーシェフとかではなく、1日シェフ、地元の人で1日挑戦してみたいという人にも門戸を開いているんです。
飲食店やりたい人のトライアルに使ってもらってもいいと思って。
その1つとしてラーメン開発をしました。電気屋さん、ガス屋さんなど、ラーメンで何かしたい若者で研究会を作ったんですよ。
大槌には新巻鮭が名産で、誇りであるので、それを商品化したいなと思い、「鮭節ラーメン」を開発しました。
床屋さんが本業の人が作っているので、月曜日(床屋が休みの日)に出しています。
床屋さんも、床屋だけで食っていけるかわからないでしょう?人口減っていますし、商圏的に先細りですよ。
4日間床屋、3日間別のことでもいいんじゃないかという考えで、その1つがラーメンということでね。1つだけに取り組んで倒れたら終わってしまうけど、プラス5万稼げる仕事が復職であれば、
食っていける。それは1つの挑戦ですね。

多田
遠野は人口激減しっぱなしです。200人ずつどんどん減ってる。大槌や女川よりもっとヒドイ。
というところで、仕掛けていることはあるんですが、なかなか対話ができてないのが残念で。じいちゃんばあちゃんのすごい知恵はあるけど、活かせてないですね。
聞くだけではなく対話、そして活かす心も必要、本当の話し合いが必要だと思っている。

震災のときにも話し合いはできてないですよ。防潮堤ひとつとっても、話し合いにならないんですから。
求められるのは「本当の話し合い」だと思う。
「こういう風に決まってるから」で終わってしまうのは話し合いじゃないでしょう?岩泉はもっとヒドイんですよ。
台風は単発の災害なので、津波と違うと解釈されて、支援の仕方にそれが及んでいるんです。

伊藤
簡単に結論出せない話になってしまいましたが、会場から意見ありますか。
一番たくさん金太郎ハウスに泊まった方が会場にいらっしゃいますが、石橋さん、どうですか?

石橋
震災当初から行き続けて、今、復興の中身、6年経って変わってきていると思いますね。被災者の方たちの状況も。
悩みどころは私たちは何をしていけばいいのかということです。私たちも昔ほどバスは出せなくなっています。
催行人数もギリギリ。前と違って人が集まってこない。
現地に行って人とのふれあいが減ってきていることも関係していると思います。
当時、東北に行けなかった人からすると、被災地の現状はもう知りようがありません。震災遺構で語り部に話をしてもらうこともあるけど、
まだ震災が続いているということをどう伝えていくかが今、わからないところなんです。
1つはボランティアバスを出し続けることかなと思っていますが。

多田
このタイトルに答えが書いてあると思う。(今回の東北未来カフェの「復興からまちづくりへ」を指さして)。

どこでもいい、1つの地域、場所と一緒に地域づくりをやってみるのはどうなんでしょう?
そうすれば人とも触れあうし、その場所の歴史も知ることができるでしょう。
観光をなんとかてこ入れしようと思っているところもあるけど、逆にどうにもならないところにいくとか。
でもね、観光もボランティアも人とつながらないとつまらないですよね。

あと思うのは、たとえば東北に農作業している人がいて、なにか困りごとがあっても神奈川から見えないけど、向こうからは見えてる。それはだいじなこと。
忘れられてないということ。姿を見せると言うことが大切ですね。

石橋
今観光というお話しも出たので、それも意識してみます。

伊藤
八木さんのところもバスを受け入れてますよね。

八木
やっぱり、来てくれると「〇〇さん来てくれた」って顔が明るくなる。
復興住宅はまだまだこれからで、まちづくりに関わるより手前だけど、来てもらえるって言うことはとても大事なんですよ。

布草履を並べているおばあちゃんたち、バスから降りてきた人が並べてある草履を眺めているのを、おばあちゃんたちも見ています。「あ、手に取った、私の草履!」って、ぱあっと顔が明るくなる。
でも、また机に置かれるとがっかりしてかなしいとかね。人がくるといろんな事が起こって、刺激になります。
それは人と人が関わることでできることなんですよ。

阿部
企業の新人研修の受入が結構多かったですね。そういうときに話をし合うと、それはとても濃密なコミュニケーションが交わされて、その後家族のようなつきあいになることはよくあります。
たくさんの団体がバスで来て、作業をしてくれるのはそれも助かりました。もちろん。これからのことを考えたら、なにげない日常でゆるく関わり続けることが大事じゃないかな。

支援とかじゃなく、つながり続けること、当たり前のような空気でつながること。その関係性がとても大切だと感じています。
だから今まで団体の受入ばっかりしてたけど、これからは緩いつながりをつくることにも力を入れていきたい。それが地域づくりにもつながるでしょう。
力こぶ入れて「どうすればいいですか!」というのもありだけど、ゆる〜いつながりも必要だと思うんですよ。

(会場から)森山
海の里創造基金をやってます。我々も、いま、何が求められているのかを探っているけれど、地域によって問題が違うと感じますね。
気仙沼は第一産業は復興しました。第二次産業は加工などで、まだまだこれからです。
私たちでは「東北元気市場」というイベントをやっていますが、昨年12月には浅草、今度の5月には建長寺で行う予定です。
ぜひ、ご来場いただきたいです。

これからは3つの柱があると思います。
・防災
被災地という感覚で人が来るというのは減っていくと思います。悲しいけれど災害の記憶は何十年も続かない。
震災の形を防災に置き換えて続けていけるかと。子どもたちに教育することが必要になるでしょう。

・そこにしかないものを売る
今まであった長所を伸ばすだけではなく、新しいものを作っていくこと。三陸の海産物って、おみやげはだいたい同じものだったりするじゃないですか。観光、まちづくり、魅力を作り上げるのも今までと同じでは難しい。

・愛や奉仕
愛や奉仕に照れがある日本人。なにかをすると対価を求めすぎるんじゃないかな。愛や奉仕を意識したい。こういう言葉を自然に行き渡らせることが大切かもと思います。

(会場から)中田
関東学院中学校の中田です。校訓として、「人に奉仕せよ」というのがある。クリスチャンの学校ではあるということもありますけど。
私自身はサッカーの合宿でもともと遠野に縁があり、サッカー部の生徒を連れて遠野に子どもたちを連れて行ったのが初めてでした。
金太郎ハウスにも何度もお邪魔しました。卒業生が、卒業してからも陸前高田や100人サンタにも参加していたりして、子どもたちが現地とつながってる様子も聞いています。
そんな今、復旧じゃなくて復興はどうなってるかを考えています。
今後、子どもたちに何を伝えていくかがいま課題ですね。現地を訪れることを子どもたちにどうしていけばいいかを模索しているところです。
3月に現地に足を運んで作業することはもう終わったので、お話を聞く旅をするのはどうかなと考えています。

(会場から)311ネット理事:吉田
すみません、一言言わせてください。
私は当時は金太郎ハウスの裏方の県職員だった。多田さんの話を聞いて、いろいろ考えることが湧いてきたので、いても立ってもいられなくなってひと言いう時間をください。
今日のテーマは僕が考えました。僕は陸前高田にずっと関わってきていました。ようやく街を一緒に考える落ち着きの時間が来て、これからようやく始まれるぞという気配があると思っています。
今日は会場がみなとみらいですけど、ここで震災があったらとても大変なことになります。
今日の多田さんの遠野の話は、対話がいかに大事かをおしえてくれた。
東北から自分たちが学ぶことはとても多いんですよ。そして、現地で行っていることを神奈川がサポートすることはこれはすごく大事なことです。

子どもたちって、都会では話を聞いてくれない。でも東北でおじいさんに「まあ、気にすんな、おにぎり食え」といわれてふっと楽になれたとか、そういう経験があったはずなんですよね。
僕らも「支援にいくぞ!」という気合いではなく、人と人がつながって交流しあえる始まりのタイミングだと思っていきたい。

有川美紀子

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