【報告】当尾(とうの)仮設のお餅つき 約70名が参加

私たちかながわ311ネットワークが4月より支援を続けている熊本地震で被害を受けた宇城市。今までの支援の様子は以下でご覧いただけます。
【報告】「熊本地震」と311ネットの支援
【報告】「熊本地震」と311ネットの支援(2)

現地での支援活動は主として理事の谷永が行ってきました。12月23日には宇城市の当尾(とうの)仮設で餅つき大会が行われ、谷永も参加するとの知らせを受けて、横浜より当日の様子を取材に行きました。

今回感じたのは、東北でも同じですが、復興の途上にあるときに私たちに何ができるのか? ということです。

発災の直後から数ヶ月はがれきの撤去、家の片付け、避難所の運営サポートなどのニーズに応えての活動が中心となります。この時期にはボランティアへの間口も開かれていて、参加もしやすく、また作業が終わったあとには目に見えての成果(がれきが片付いた、家がキレイになったなど)があるため、達成感が得られます。
熊本ではすでにこの段階は超えています。避難所は役割を負え、半壊や一部損壊の家屋では人が暮らしながら工事の順番を待っている最中であり、全壊や大規模半壊した家屋の方は応急仮設住宅やみなし仮設住宅に移っています。
生きるか死ぬかを超えたあと、生活が始まり、人びとが仕事や学校にも通うようになったとき、現地以外の人間は何をサポートするべきでしょうか? その答えを探しながらの今回となった気がします。

少しずつ取り戻されてきた日常
前回、熊本を訪れたのはまだ夏の日差しが残る9月でした。このときは熊本市内も少し歩き、熊本城の城壁が崩れていることや、再建に500億円〜600億円かかるかも知れないことなどを知りました。市電で移動すると、中心地にもブルーシートをかぶせたままの家や、改修待ちのためにネットをかぶせられたマンションなどを多く目にしました。

それから3ヶ月、さまざまな場面で熊本が少しずつ日常を取り戻していることを感じました。
たとえば空港。9月には1階2階とも南北の横断はできず、地上で空港の外に出て入り直さなければ両方のエリアに行くことはできませんでした。しかし11月18日には1階フロアが、12月13日には2階フロアが開通しています。展望デッキも10月14日に再開し、空港全体がキレイに整っています。8ヶ月前に大きな被害を受けたことが信じられないぐらいです。

また震災と関係なく2015年から改修新築工事が進んでいた松橋(まつばせ)駅も新しい駅舎になっていて、これは以前からの予定だったとはいえ、なんとなく地域の元気さが伝わってきました。

熊本から松橋へ向かう鹿児島本線の窓からはブルーシートの家屋の数が以前より減ったように見えます。しかし、松橋に降りるとやはりあちこちでブルーシートを掛けられたままの家屋を多く見かけました。この日は大雨だったため、熊本市内はあまり出歩きませんでしたが、まだ解体待ちあるいは建設待ちの建物、家は多くあると思われます。

仮設でのイベント・餅つき大会
23日は宇城市の当尾仮設団地での餅つき大会です。9日にも小川仮設団地での餅つきがあり、今回で2度目です。社協では10月3日から「地域支え合いセンター」が開設され、10名の相談員が雇用されています。そのメンバーや社協職員のほか、小川町のボランティアふれあい会の方々、婦人会のみなさんも加わってスタッフだけでも30名以上が集合。みなさん日頃から地域のお祭りやイベントを手伝っているので設営も非常のスムーズに進みます。

なにげなく話をしていると、スタッフ側も自宅が一部損壊や半壊の被害に遭っている人が多いのだと分かります。住める家があるか、ないか、それがボーダーラインになっているのです。
餅つきの米は松橋町豊川小学校で作られ、いつもは福祉米として寄贈され地区福祉活動に使うものを、今回は「仮設のイベントに使ってください」と提供を受けたものが60kg使われました。そのほかに宇城市の支援を続けているRQ小泉から30kgの寄付があり、これもこの日のお餅になりました。
全部を杵臼でつくのは時間もかかり大変なので、40kgぐらいを餅つき器3台でつき上げ、10時半過ぎに開会の挨拶をしたあと、アトラクション的に杵臼でつく餅つきを行いました。

設営は8時半ぐらいから始まり、9時半過ぎには餅つき器が稼働して女性たちが小さく餅を丸めたり、婦人会の方たちが豚汁を作ったりし始めました。これらの作業は社協や支え合いセンターの相談員、民生委員や私たちかながわ311ネットワークの谷永理事、SEEDS Asiaのボランティアスタッフなども加わりました。

音楽を掛けながら餅をついていると一人、一人と仮設から参加者がやってきます。一人、まだ準備中の時にいらっしゃった高齢の女性は、スタッフが「10時ぐらいから始まりますよ」と声を掛けると「何か自分も手伝えるかと思って」ということで、一緒に餅を丸める作業に加わってくださいました。

仮設の方はいろいろな年齢層の方がいるとは言え、やはり高齢の方が目立ちます。宇城市自体が、全体で約3割の高齢者率なので当然と言えばそうなのですが、慣れない仮設での年越しは心細いのではないでしょうか。

餅を丸めたり、調理をする作業は同じ場所で共同作業をするため、近況報告や地震災害時の話なども出ます。

「あなたのところは和風(の家)だった?」
「そう和風。最初の地震はそうでもなかったけど、次の地震で瓦がやられて。瓦だけで(改修費が)何百万にもなるといわれたわ」。
「うちはそろそろ小さい家に建て直そうかと話していたんだけど、地震で半壊してしまったから、今から和風の家はもういいわ。二世帯で洋風の家にしようかと話しているの」。

調理をちょっとだけ手伝いながら話を聞いていると、やはりとてつもなく大きな地震だったことが伺えます。
「もうもう、あんな思いはしたくない……。本当に怖かった。家の中では寝られなかったものね。家族3人で車の中で寝てたもの……。2度とあんな思いはしたくない」。

東北でも同じでしたが、そう話しながらも「横浜から来たの?! 遠くまでわざわざありがとう」と、にっこり笑ってくれるのです。
宇城市社協の小山課長や、理事長の挨拶には「あれから8ヶ月が経ち」という言葉が入っていました。
「私たちは程度は違ってもみんな被災者です。お互いに声を掛け合って、今日は復興についても話すことができればと思います」という挨拶に、会場にいる人びとはみんな頷いたように見えました。

子どもも参加して盛り上がったもちつき
餅つき体験に使用されたのは石臼。私は各地で何回か餅つきに参加したことがありますが、石臼を使っているのを見たのは初めてです。社協の所有物かと思ったら、住民からお借りしたものだとのこと。こういうものを持っている方がいるのは昔の暮らしと今の暮らしがつながっている地域だなあと感じます。

11時過ぎからお昼ぐらいまでの間に仮設からも次々に住民が訪れ、若い世代の家族連れもやってきて、小さな子どもたちがもちつきにチャレンジしました。ささえあいセンターの相談員は、交替で仮設団地の中を回り、お餅を配ったり、参加を呼びかけたりしています。東北でも同じでしたが、女性は集まりに顔を出すことが多く、仮設に入るまで知らない同志でもコミュニケーションを取るのが上手だけれど、独居男性加えて高齢者の場合はなかなか集まりに顔を見せないようです。また、どこでも同じですが、どうしてもイベントの参加者は固定化しがちなようで、そこも今後の課題のようでした。とはいっても、最終的に仮設団地からは約70名が参加されました。

谷永理事は設営はじめ力仕事や、見えないところで必要になる準備全般に携わっていました。何度もこうしたイベントを経験しているので、まるで社協の一員のように自然にサポートしているのが印象的でした。もちろん、若手の一人として何度も杵を持ち上げ餅つきに精を出していました。

本当の意味の『寄り添い』とは?
これからは東北も熊本も、日常を取り戻すことをどのようにしていくのか、地域づくり、まちづくり、コミュニティ形成が大きな課題となっていきます。そこには突然行って参加できるボランティアの場は少なくなっていきます。311ネットも、谷永理事が継続的に関わっているからこそ宇城市とつながれているので、いくら世の中のICT,IoT化が進んでも、対面で言葉を交わすことで作られる信頼関係の重要性は変わりません。
だったら、今、この段階で「自分にできることは?」と思った場合に何ができるでしょうか。今から現地に飛び込んでも、できることは限られると言わざるを得ません。その場合、すでに現地と信頼関係を結んでいる相手に自分の行動を託すのは有効な方法です。ずっと現地に入っているNPOを探し、それぞれの行っている内容を見て、自分の考えに一番近いところに寄付を託す、そういう方法があります。

もう一つ、今回の熊本行きで考えたこと。全社協の「被災地支援・災害ボランティア情報」によれば、東日本大震災から平成28年7月31日までに東北3県で活動したボランティアの総数は149万9800名となっていますが、震災のあった平成23年5月の18万2400名をピークとして活動者は徐々に減り始め、平成28年に入ると4000〜5000人程度しか活動していないことが分かります。
がれき撤去のように人海戦術が有効な作業は今はなく、ボランティアを公募する団体も減りました。それでも、今も東北へ向かう人と、離脱してしまった人の間にはどんな違いがあるか考えてみると、現地の人とつながることができた人は、現地へ行けなくても東北と何らかの関わりを保っているように思います。
大勢の知らない人たちではなく、たった一人でも「あの土地にあの人がいる」と思える相手がいるかどうか。余震があったり大雨があったりすると「大丈夫だろうか」と心配する相手ができたかできないか。そういう相手がいる場所には、何かあれば再び駆けつけるのではないでしょうか。

付け加えるなら、一緒に現地へ行った仲間とのつながりが保てているかどうかも、ポイントの1つになるような気がします。会えば一緒に活動した場所の話をするでしょう。再び災害があれば「いつ行く?」と話もするでしょう。

そう考えると、かながわ311ネットワークのような後方支援を中心とした団体がやるべきことの1つに、「現地の人びとのつながりを作る」ことが必要と、改めて思います。
私個人は2011年3月11日まで、そして2016年4月14日まで、東北や熊本とそれほどの縁を持っていませんでした。しかし、今はこれらの場所の名前を聞くと無意識に耳をそばだててしまいます。台風や大雨の情報が流れれば、知っている人びとの顔が思い浮かび、続報をチェックしてしまいます。

災害により生活が壊されるのはいいようもなく悲しいことですが、そのことをきっかけに、今まで縁がなかった土地を自分が住んでいる土地のように思う、そんな風になれば、いつどこで何が起こっても助け合い、「共に立ち上がる」気持ちを持てるのではないでしょうか。

文:かながわ311ネットワーク 有川美紀子