【報告】東北未来フォーラム 多田一彦さん基調講演「幸せ生産工場」

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「幸せ生産工場」多田一彦さん(NPO法人遠野まごころネット理事)

「幸せ生産工場」 というタイトルで話された内容は
もし災害が起きたらどうするか、決めていますか? という問いかけから始まりました。
神奈川で大きな震災があったら? 東北からは入れないだろう、助けには行けない。
そんなとき、自分たちがどこでどう動くかを考えてるかを問いかけたい。そんな投げかけで始まりました。
東北の話が中心かと思ったら、かながわの足元は大丈夫ですか?と問いかけられた形です。
以下は多田さんの講演の要約です。

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みなさん いままでは災害が起きた場所について「自分たちは何ができるか?」と考えたと思います。
しかし、それは自分の足元で同じことが起こったときにどうするか? ということが逆におろそかになります。
3.11で岩手で起こったことは、道の通行止め、がれきや倒木や倒壊した建物で通れない道……などなどでした。都市ではもっと拡大版が起こります。
そんなときに、家族とはどこで落ち合うか? 障害物はどこにあるか? 家族とはどうやって連絡を取るか?
それを話し合っていますか?

私たちの経験から言って、家族が生きているかいないかを知らないと動けない。これは間違いない。
どうやって探せばいいかわからないという状態だと、身体も心も動かないんです。
それが、どこに自分の家族がいると分かれば、人は動けるんです。だからすべての人に「何かあったらどこで会うか」確認しておいて欲しいと思います。

この次には、水、食料がどこにあるのかを考えなければ。
日頃からそれを家族、地域、そして企業などと話し合っていかなければなりません。
ここならそごうとか。イオンモールとか大きなSCなど、ありますよね。

イオンは大きな会社ですから、いろいろなシステムを使っています。それと、災害時の生存確認が組み合わせられないかな?と思ったりしています。

たとえばポイントカードをかざすと生存確認ができる仕組みがあってもいいですよね、とイオンモールに提案しました。

でも電力がかかるから、何かあった時でも供給可能な自然エネルギーも必要になってきます。
今、ファブラボなどがありますね。ファブラボを作りボランティアセンター(VC)を作る、そんな仕組みを東北で提案してきましたが、都会も日頃からそんな仕組みを考える必要があると思います。

※ファブラボ……デジタルからアナログまでの多様な工作機械を備えた、実験的な市民工房のネットワーク

たとえば災害時にVCはどこが作る? ふつうは社協と思うだろうけど、社協だけでは絶対に難しいでしょう。
日頃から、VCができる場所はどこか、作る人は誰か、ネットワークを作っておき、いざというときに自分は何をするかを考えておいて欲しい。
そしてリーダーシップを取って欲しい。リーダーシップとはなにか? やりたいことを指示するのではない。来た人たちが最大限の力を使えるようにするのがリーダーシップです。
何か起こると排他的になりがち。いろんな人がくる。やくざの様な人、右より、左より、いろんな人がくるけど排除したらダメ。
来たときはみんないい気持ち(役に立ちたい、助けたい)で来ているから、いい気持ちといい気持ちをつなげていけばいい。

思うにVCは関所のようなものじゃないでしょうか。よくあるのは煩わしいことを避けてしまうことですが、そうではなくてその先で煩わしいことが起きないために関所の役割を持つ。
それとともに、地形の把握、安全な場所の把握も必要ですね。被災した人を安全な場所に誘導するようになりますから。

そしてもう1つ、後方支援の役割について考えてみます。
かながわ311ネットワークも後方支援をしてこられたと思います。私が思うに、実は後方支援は前線のサポートじゃないと思います。
後方支援というのは被災した人たちより冷静な目線で、全体を見て、必要だと思うポジションに自ら入っていって実践する立場ではないかと思います。

ときには後方支援であり最前線にもたつバランサーの役割です。
それをするためには現状の把握が必要。それが決断の礎になる。
「自分たちはこれがやりたい」、「これができますよ」という後方支援は本末転倒ではないでしょうか。
現場に合わせて柔軟に必要なことを把握してやるのが本来の後方支援と私は思います。

いま、まちづくりにも関わっている中で、災害からの復興も限界集落も、普段の地域作りもみんな同じだということが分かりました。
普段から地域づくりで柔軟なやり方をしていれば、復興のときにもそれを使えたはず。でも6年前はできなかった。
だから普段から地域づくりをしておく必要がある。

でも、違和感を感じる地域づくりもあります。
元気な人たちが来て、わーわー言って、「わー良かったね」と言って帰っていくという地域づくりはどうなんでしょうか?
そこには弱い人の声が入ってない。
みんなが参加できてこそ地域づくりのはずなんです。弱い人を助けられなかったら支援にも地域づくりにもならない。

仮設に移ったら自立とみなして支援物資を止めるという報道があったのを覚えていますか?
びっくりしました。どこの例だったか、仮設住宅で水が出ない状態のことがあった。それでも自立をみなすとはおかしい。
このときは、ぶっとんでいって、「衣食住が揃わなければ自立じゃないでしょう!」と抗議して、物資を止めることはやめてもらった、そんなこともありました。

さて、遠野のまちづくりとは……。
遠野は観光のイメージがあるかも知れませんが、実際はどんどん衰退している。
そんな中で、どんな風に町を元気にしていくか。考えました。
遠野は宿場町がたくさんあるんです。そこには郷土芸能がたくさん残っている。宿場町と農家民宿と合わせて、盛り上げていくことを考えています。
1つ1つの宿場町で祭りも少しずつ違うんですよ。昔からの祭りですね。
駅前の遠野祭りには人は減っている。でもそれぞれの宿場町に残っているものにフォーカスして、もりあげて日本一の遠野の祭りを作りたいと思っています。

なぜ遠野まごころネットをやったか?と思い返すと、1つの場面が思い出されます。
あるときニーズ調査に行ったんです。
現場のリーダーは毎日聞かれるからだんだん面倒になり、「ない」というようになるが、奥に座っているおばあちゃんは「そんなことない」という顔をしている。
何か、あるんですよ。

ではどうやって声を拾うか。声を出せない人の声をどうやって聞いていくのかが重要なんです。
私たちはその人たちの代弁者となっていきたい。そして一人でも多くの人のサポートをしていきたい。
この仕組みは実は、復興だけじゃない。まちづくり全般が同じ仕組みでしょう?垣根がなく柔軟な社会がいかに大切かと感じてます。

一番大切なのは話をすること。
行政は「こういうことします」とみんなに発表するけど、実現しなければそれはニセもの。
自分たちが先頭切って取り組んでいかなければ本物にならない。
そのためには話し合いをしなければ。
6年目のいまこそ、話し合いすることがあらゆる面で必要になっている。
同時に思うのは、個性、違いを輝きにしなければいけないということ。
個性、違いは大切なんです。画一化では漏れてしまうものがある。
一人一人を助けたい。
たとえば、先般の福島から避難してきたこどもの話でいえば、神奈川県では「恐喝はイジメではない」といったそうだけど、
苦しんでいるその一人を救わなければダメなんです。
たとえばですが、先生が「みんなの前で福島で何が起こったかを話してごらん」といって経験を共有すれば、あんなことにはならなかったかもしれないと思ったりします。

ネパールでも大地震で被害が起きました。2015年のことです。私はネパールへ出向き、復興支援活動をしてきました。

向こうで復興に取り組む人たちに「リーダーは偉いんじゃないんだよ。一番弱い人かも知れないよ」と説明しました。
ネパールでの復興支援はまさにまちづくりです。
話していくうちに、「一番貧しい人の家から建てましょう」と地域から声が上がったんです。
ネパールはカースト制の国ですが、今まではカースト制によって、上からものを取っていく社会だったが、変わってきたように思いました。

昨年台風10号で大きな被害があった岩手の岩泉にも行きました。
あれだけの被害があったのに、ボランティはほとんど誰も来なかった。でも、神奈川の人たちは何人か来てくれましたね。きょう、この会場にもそのときの方々の顔が見えます。

神奈川の人たちはガリガリしないで、ゆったりした支援体制を組むのが得意なようです。
それが、うまい人間関係を作っていく。
集まり、助け合い、つながり続けるボランティアとなって、それが強靭で柔軟な社会を作る事につながっていくように思います。

まとめると、どこの何の活動も日常的なまちづくりも同じなんですよ。

助け合うこと、その人がその人らしく生活して生きていけるように助け合うこと。

「福祉」とか特別な言葉にしなくてもこれが当たり前のことにならなければ。

ですから、今一度申し上げたい。神奈川は災害があったらどうする?と、まずみんなで話し合いましょう。つながりをつくろう。
自分もそこに加わっていきます。

続いて行われたパネルディスカッションの記事はこちら

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