【報告】「熊本地震」と311ネットの支援(1)

vol.1「とにかく駆けつけたい」……単身飛び込んだ熊本

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熊本地震から半年以上が経ちました。かながわ311ネットワークは熊本地震でも支援を行っています。熊本へは
「現地での支援」
「神奈川(遠隔地)から支援」
という2つの方法での支援を展開しています。シリーズの1回目では現地での支援について、311ネットの理事がどう動いたかを通して、支援の内容についてご紹介したいと思います。

隣県での発災、現地状況を知りたい
311ネットの理事、谷永誠は現在長崎県に住んでいます。熊本地震の報を受けて、現地がどうなっているのか、自分が何か手伝えることはないのかと考え、現地調査へ行こうと考えました。会社員でもある彼は、日程を調整しまず4月19日に現地へ入ることにしました。

「私は北海道の出身です。1993年、奥尻島に大きな被害をもたらした北海道南西沖地震の時は近い松前町に住んでいました。そのころから、頭のどこかしらに災害に対する意識はありました」(谷永)。

東日本大震災時は横浜在住。かながわ県民活動サポートセンターにボランティアセンターが立ち上がったときにボランティアとして参加し、その後、かながわ東日本ボランティアステーション事業によるボランティアバスのリーダーとして活動する傍ら、震災支援関係の団体や組織とのつながりも強めていました。特に、現在「被災地NGO協働センター」代表の頼政良太氏とは年齢が近いこともあり、ずっと親交が続いていました。こうしたつながりが、今回熊本で活動する際の大きな力になりました。

熊本に入る際、谷永が考えたのはくり返す余震と、一人で現地入りすることを考え、熊本市や益城町以外のところへ行こうということでした。大きく報道されたところは支援団体も多く集まります。被害があったけれども支援団体が入っていない・入れないところもあり、そのような場所が県南部にある可能性を考え、熊本市より南の宇土市、宇城市、八代市に入ることにしました。このエリアはすでに頼政氏が見て回り、各所からの依頼をもらっていたエリアでもありました。

一人で車を運転し現地を見て調査していくと、その中で死者は出なかったけれど、家屋などの被害が著しかったのは宇城市でした。避難者の数も他の2市より圧倒的に多かったのです。
そこで、他の地域での活動をすでに始めていた頼政氏からの依頼も引き継いでいくことにしたのでした。市役所で近々ボランティアセンターを立ち上げる予定という話も聞き、このとき社会福祉協議会の方とも顔を合わせていた関係で「宇城市に支援に入るべき」と判断しました。

その後、事務局に現地報告が入ったので団体として宇城市のサポートをしていくことを決めました。

支援団体をつなぐ「火の国会議」
阪神淡路大震災以降、大災害に対して支援団体の動きは非常に速くなったように思います。ただし、現地は通信手段が途絶していることも多く、また混乱してもいるのでどこにどのような支援が入っているかを一元管理することは大変難しいです。

支援団体側も、どこでどのようなニーズがあるかは現地に行かないと分かりません。そんな中、熊本では支援団体側の情報共有などを目的に「熊本地震・支援団体火の国会議」が開かれるようになりました(主催:JVOAD準備会)。

リンク先にあるように、団体同士の活動情報の共有、被災地域の状況に関する情報の提供、シーズやニーズのマッチングなどが行われている場です。谷永もこの会議に参加し、情報交換を行っていました。会議の場で「熊本県」の名前が入った腕章が配られました。

災害が起こると実にいろいろな人が被災地に入ってきますので、こうした会議にも出席している支援団体・個人であるというお墨付きのようなものです。実際、この腕章があることで宇城市社協では受入がスムーズだったようです。

今までの活動経験からできることを即時に
県南部の調査を終え、、ゴールデンウイーク明けまで2週間ほど宇城市に滞在し災害ボランティアセンター運営支援を実施しました。全国各地から集まってきたボランティアの登録やニーズとのマッチングなどはマニュアル通りに運営されていたので、日々、活動しながら感じた疑問点の改善やボランティアセンター運営の効率を社協職員と考え、これまでの活動経験を活かし改善を行いました。しばらくし運営がある程度軌道に乗ってきた段階で、課題の把握がある程度できていた避難所運営支援にとりかかりました。特に、避難所となる施設のどこに何を置くかなど動線を考えたレイアウト提案や、設備の置場、ルール作りなどについて提案していきました。

ちなみに、熊本県では避難所(地域防災拠点)の運営は行政が行うことになっています(横浜市は住民で、防災リーダーなどが中心となり運営する)。そのため、行政としては「全員公平に」という日頃の行政での対応が基礎になっているため、突発的な対応が難しいこともあるようです。そして、台風など短期間での避難所設営は想定されていても、今回のような長期間の運営は経験がありません。

熊本で実際にあった事例としては、避難所にマットレスが数十枚届いたときのことがあります。行政としては「公平を考えると、全員分が届くまでこれは保管しておこう」となりますが、時期は4月。熊本といえど、体育館のような場所に寝るには底冷えが来て、お年寄りなどは寒くて困っているという現状がありました。

行政が対応できなくても、NPO側からの提案で動かせば柔軟に対応が取れると見込み、身体が弱っている方、高齢者の方などで自宅に戻れずにいる方を優先し配るよう提案。調整の結果、配布することができたのです。

支援団体がサポートに入る意味はこういう場面に活かされるようです。このほかにも、長期間の避難生活になることによって起きる不便や不満を聞き取り、被災した方のQOLを高めるためにしかるべき部署にその声を上げていくことについて社協の人びととともに取り組んでいきました。

ゴールデンウイーク明けからは、会社の休みを活用して、谷永は月に数回、長崎から車で宇城市へ通うことにしました。

避難所は日中、自宅の様子を見にいったり片付けをしたりする人が多く、人が少なくなります。避難者の方々が戻ってくるのは夕方から夜にかけて。ヒアリングは夜が中心となるため、その部分を谷永がサポートし、職員だけではどうしても取りこぼしてしまうニーズをていねいに拾いました。

対処が必要な意見はまとめて報告し、関係各所と調整しました。ここでも、役に立ったのは東日本大震災以来積んできた経験でした。

参考
熊本県宇城市の熊本地震対応

発災           宇城市危機管理課が情報収集・対応・状況確認
避難所開設        市の教育部教育委員会が対応・運営
避難所運営        市の市民部市民課が対応
ボランティアセンター立上げ 社協が対応
※防災計画に設置の記載があり、「市長名で社協にボラセン立上げを要請する」と記されている。
運営主体は県・市によって異なります

現在の支援活動は?
2016年10月までに宇城市の避難所はすべて閉鎖されました。今後、自宅が損壊した方々の暮らしは仮設住宅またはみなし仮設住宅へと移ります。注)みなし仮設とは、被災した住民が民間賃貸住宅に入居した際に、行政が家賃の補助や全額負担を行う住宅のこと。

宇城市災害ボランティアセンターが5月31日で閉鎖され、現在、被災して仮設やみなし仮設で暮らす方々への支援は「宇城市生活復興支援ボランティアセンター」(運営:社協)が行っています。谷永もこのボランティアセンターへの支援を中心に活動しています。

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がれきの撤去など力仕事でのボランティアは現時点では必要なくなっています。それでも、全国から「仮設住宅の皆さんを励ましたい」といったボランティアの申し出は続いています。
また、10月1日からは「宇城市地域支え合いセンター」が立ち上がりました。これは、県内15市町村で開設されたもので、熊本地震で被災した方が生活再建に向けて安心した日常生活を送れるよう、見守りや健康・生活支援、地域交流の促進などの総合的な支援を行うものです。
リンク:https://www.pref.kumamoto.jp/kiji_17270.html

谷永はこの動きに関しても聞き取りや、仮設住宅周辺地域との調整(たとえば、集会室がない仮設の住民が、地域の公民館を使うことはできないかといった調整など)サポートなどを行っています。

谷永が一番重視していたのは「どういう提案をすれば市や社協の担当者が動きやすくなるだろうか」ということでした。

「自分は常駐できず1回に数日単位でしか宇城にいられません。自分がいる間に、今までの経験から得た知識で細かいことを決めてしまい、いない間に担当の方がスムーズに動ける下準備をしておきたい。常にそう思ってサポートしています」(谷永)。

311ネットの支援は現地に役立っているか?
谷永の活動について、現地ではどのように評価しているのでしょうか。
宇城市社会福祉協議会の小山課長と浜口真也主任に聞いてみました。

今回の地震のような大規模な災害と、長期にわたる避難所開設は社協にとって初めての経験だったそうです。まさに手探りで模索しながらの設営でした。

谷永が最初に訪れたときはちょうどボラセン立ち上げの時期。そこで、やってくるボランティアの受付システムやニーズとのマッチングの仕組み作りなどについてサポートしてくれたので非常に助かったとのこと。特に、マニュアルにはないようなことにどう対処するか迷ったときにサポートしてくれてありがたかったと言っていただけました。

経験があっても谷永自身にも分からないこともありました。その場合にも、つながりのある団体・支援Pや、経験の深い人に問い合わせたりしながら問題解決していきました。

注)支援Pとは企業、社会福祉協議会、NPO、共同募金会が共同するネットワーク組織で正式名称は「災害ボランティア活動支援プロジェクト会議」。熊本地震では、先遣の派遣、運営支援者の派遣などを行っていました。
リンク:http://www.shien-p-saigai.org/?page_id=8

「県からは大枠の方針が来ます。でもそれは本当に大枠で、地域特性のある問題については個別に考える必要があります。宇城市内から上がってくるニーズは宇城市の独自性で解決していかなければなりませんが、そのときに第三者の目があるのは大切なんです。どうしても今までの業務範囲で考えがちな時に、発想の転換の素になるアイディアをくれて、助かっています」(小山課長)。

多くの自治体は地域住民のボランティアと活動することはあっても、遠方から来るボランティアを受け入れることは地震前にはありませんでした。これは多くの地域がそうかもしれません。

それでも遠くから「被災地をサポートしたい」と訪れてくるボランティアは数多く、その申し出をどうコントロールしていくべきなのかの悩みだったそうです。そのときに谷永が「全部管理しなくてもいいのでは。ある程度その人たちに任せてしまえばいいと思う」と言ったことで「あ、そういうやり方もあるんだ」と、気が楽になったと浜本主任も口にします。

現地で行動しているのは現時点では谷永理事だけですが、運営のサポートができていることで、お役に立てているのはうれしい限りでした。

次の記事では神奈川からの遠隔支援についてしるします。

(構成:有川美紀子)

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