シンポジウム「気仙沼の自然再生に向けて」に参加して

MVCシンポジウム 気仙沼の自然再生に向けて@鎌倉建長寺応供堂
【日時】2014年9月7日(日)13:30-16:00
【次第】第1部 基調講演
宮崎綠 千葉商科大学政策情報学部学部長
第2部 パネルディスカッション「1本の植樹から始まる復興」
パネラー
菅原信治 NPO法人海ベの森をつくろう会 代表
宮崎綠  千葉商科大学政策情報学部教授
伊藤朋子 NPO法人かながわ311ネットワーク 代表理事
コーディネーター
花井幸二 一般財団法人海の里創造基金理事
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9月7日、未明からの雨が降り続くなか鎌倉建長寺で行われた「気仙沼の自然再生に向けて」というシンポジウムに参加してきました。300円の拝観料を払って入場した境内は車の音も聞こえず、別世界の静けさ。お寺という古い歴史のイメージと、シンポジウムというカタカナ言葉の語感が今ひとつ結びつかなかったのですが、聞けば建長寺は創建された当時は最高学府として学問の中心だったそうで、大震災後は復興支援のためのチャリティーコンサートや復興マルシェという物産展などが開かれてきたこと、多くの僧侶の方がボランティアとして東北へ行ったことなどを知り、だいぶお寺というもののイメージが変わりました。

基調講演をされた宮崎綠さんは、お名前のとおりの鮮やかなみどり色のジャケットがお似合いでした。まず災害からの復興の事例をあげ、オーストラリア=クイーンズランド州の水害、アメリカのハリケーン・カトリーナによる風水害、チェルノブイリの原発事故という3つの例を示し、それぞれがどのように進行しているかの紹介がありました。オーストラリアの例では、復興を専門に担う官庁横断的な組織をいち早く立ち上げ、被災後1年にして具体的な復興の動きが見られること、それにたいしアメリカの例では、被災後10年近くが経過する現在であっても、避難を余儀なくされた49万人のうち27万人が戻れないでいるということでした。このたびの大震災からの復興がどのようにしてなされるのか、全世界が日本を注視している、との指摘は新鮮でした。

木を植えるということについて、ドイツの「黒い森」を例に、戦争や災害によっていったんは破壊された森を、人間は1本1本の苗を植えることで長い時間をかけて再生してきたことを説明されました。いま私たちがやろうとしていることは、いまだけ、私たちだけがやろうとしていることなのではなく、長い歴史の中で、多くの人たちが行ってきたことであり、また現在も世界中で行われていることだという話には、おおきな時間的・地理的な視点を感じ、とても感心しました。人にアイデンティティがあるように、社会にもアイデンティティがある。木を植えるという行為はたんに森を守るということだけでなく、そのことによってそこに住む社会集団の生活や文化を守るということにつながる。だからこそ人は木を植えてきたのだ、ということなのです。

休憩をはさんで後半はパネルディスカッションでしたが、内容をすべてまとめることはできません。断片的ですが印象に残った言葉としては、大津波のとき木にしがみついて助かった人が何人もいること、むかしの大津波の後も木を植えようとした人がいたこと、大規模な防潮堤を海っぺりにつくるのではなく、つくるとしても海ベの森の内陸側にそれほどおおきくないものをつくって人と海とを分断せずに複合的・相乗的に人を守る方法があるのではないだろうか、といったことです。なかでも、大震災というのはたいへんな非常時であるのに行政は平時の感覚で対応している。これでは話が進まない、という話がありましたが、基調報告にあったクイーンズランド州ではなぜ早く復興が進んだのか、ということと合わせたいへん考えさせられました。
かながわにいて東北を考えることはだんだん少なくなってきて、「震災はもう終わった過去のこと」と考える人も増えてきているが、ボランティアとしてはじめて現地に行った人の感想を聞くと「ぜんぜん終わってないじゃん」と素直に感じる人が多いという話も心に残りました。私自身も東北へ行くたびにそのような気持ちになるからです。現地へ行くことの重要性はすこしも減ってはいません。
予定された時間どおり閉会し、外へ出ると雨も上がっていてゆっくりと駅へ向かいました。内容はとても深いものでたいへん勉強になったのですが、残念だったのは参加者が大変少なかったことで、これは天候のせいだけではないように思われました。情報を発信し人を集めるということについて、まだまだ私たちは未熟であるし、努力が足りないのかもしれません。

記 山下潔

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