【報告】8/23 第2回巨大防潮堤勉強会「改めて先人に学び、子孫に伝える-防潮堤問題から考える地方の行く末-」

「改めて先人に学び、子孫に伝える-防潮堤問題から考える地方の行く末-」と題した、かながわ311ネットワークの防潮堤勉強会を8月23日、かながわ県民センター3階304会議室で開催しました。

参加者は55人、講師を含めて60人が3時間あまり熱心に学び合いました。防潮堤勉強会は昨年10月13日に続いて2回目でしたが、昨年の44人よりも参加者が増え、神奈川など首都圏でも防潮堤問題に対する関心が高いことを示しました。
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時間がなくなり、慌ただしく終了しましたが、当日質問をいただいた方は全員勉強会に満足の様子で、続けての開催の要望もかなりありました。終了後近くで行った懇親会には31人が参加し交流を図ることができました。

15100920695_1505bac723_k1講演はまず気仙沼の「小泉海岸と津谷川災害復旧事業を学び合う会」事務局長で、地元面瀬小学校教諭の阿部正人さんが「被災地の市民から見た金華山国定公園、中島海岸の復旧・復興」と題して、最高で14.7メートル堤高の巨大防潮堤の問題点と、問題点を整理し事業の再検討を求めて国に提出する陳情書について説明しました。
この中で、小泉海岸だけでも防潮堤の総事業費が223億円かかるのに対し、東大公共政策大学院の調査では守るべき資産は約40億円。防潮堤建設後の維持管理費も明確にされておらず、このままでは医療や福祉、教育に回す予算がなくなるだけでなく、自治体として維持できなくなる恐れがあるとの危惧を表明。
また大震災による大津波への備えとしてはコンクリート製の防潮堤で「安全・安心」とするのではなく海岸近くから高台への避難路などの整備津波の恐ろしさを伝え確実に避難するための教育の充実-などが必要と指摘しました。
学び合う会から国に提出する陳情書は、下記の項目を求めて8月25日提出されました。

土木技術や環境の観点から関係学会による検討をお願いします。
宮城県に対し、地方財政法に基づき、将来にわたって最小の経費で最大の効果を得る災害復旧事業促進のご助言をお願いします。
現計画案に対し、第三者機関による検証の実施をお願いします。
私たちが提案している代替案を検討するようお願いします。
中立的な第三者がコーディネートをし、これから復興を担う若者や女性などの住民が、学び、議論できる場を作るようお願いします。

15077937996_77f86f71c0_k続いて311ネット監事で科学ジャーナリストの田崎耕次が「全島を取り囲む防潮堤と限界集落への懸念」と題する最近の北海道・奥尻島への取材結果を報告しました。
奥尻島は元々過疎化傾向があったところに地震・津波に襲われ総延長14キロもの防潮堤で海岸線を囲んだ結果、それまであった漁業と観光という2大産業が衰退。2005年~10年の5年間の人口動態統計で奥尻町は全国で4番目に減少率が大きかったが、さらに2040年の予測を見ると10年の人口の半分(1500人程度)に減少する恐れがある。特に生産人口は4分の1に減る一方、高齢者人口は半分に達するとの予測が出ていると説明。奥尻町は深刻な財政難に陥っているうえ町債発行に国の許可がいる「起債許可団体」に転落しており、防潮堤や津波襲来時に避難する人工地盤「望海橋」修理などもままならない様子で、観光にまで手が回り切れていないのが実情。島内外から奥尻は明日の東北を示す「他山の石」であると指摘が出ていることを紹介しました。
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15100646242_ef03d02a9c_kこの後、環境デザイナーで東京大学空間情報科学研究センター協力研究員の廣瀬俊介さんが「気仙沼津谷・小泉地区災害復旧代替案-生態系を基盤とした防災・減災」と題し講演。行政が強引に建設しようとしているコンクリート製の巨大防潮堤に対して、住民と協力して作成している代替案では「自然に還る海浜と川を擁する小泉」をつくるとして2案示しました。
この中で廣瀬さんは、1854年の安政南海地震津波時の「稲むらの火」のモデルとなった濱口悟陵が私財を出して和歌山県広村(現・広川町)に造った、陸に上がってきた浸水に対し地面に傾斜を付けて水田に導くようにした堤防を紹介。安政南海地震津波では広村全域に被害が出たが、1946年の昭和南海地震津波では堤外の水田に津波が流れ、水田が遊水池となって大半の家屋が被災せずに済んだ事例を示し先人の知恵に学ぶべきと指摘しました。
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専門家からの提言では「本来、海岸堤防は波打ち際に設けるのではなく、堤防と汀線との間に緩衝帯としての前浜を用意するのが、堤防および守る区域の安全のためには望ましい」とした高橋裕氏の説(「川と国土の危機」)なども紹介し、代替案では緩衝帯を設けた津谷川流域という考え方を強調しました。また氾濫域周辺では昔から神社や山の神が祭られていることを踏まえ、こうした神社 や山の神に託した先人の教えに学ぶ必要性を訴えました。

14914226759_0b6514e480_k最後に株式会社海藻研究所の新井章吾所長が「里山、里地および里海の伝統的管理手法による物質循環から考える震災被災地域の活性化」について講演しました。新井さんは、環境や水利、土地活用など様々なものが産業的に循環しなければ地域は生き残れないとして、一次産業の現場に入り水産と環境のコンサルタントとして活動中。
東北では大震災後インフラ整備は進んだものの、この間に人口流失や産業の衰退傾向にある。過疎化の進行自体は大震災の前からの課題であり、過疎化の進行を抑えるには物質循環の修復による一次産業の活性化が最も有効と指摘しました。
活性化が問われている例として、伊里前・洞の浜一帯の海水を分析した結果を紹介。里山からしみ出してくる湧水が湧く海中では甘い味の海水となり、砂地にカキの餌となる珪藻類が育ち、古くからカキ養殖の「ドル箱」となっている。一方、外海から入ってくる海水は辛い味で昔からカキ養殖はできなかった。山からと外海からの水循環が養殖業を支えてきたが、里山を崩し防潮堤で陸と海を遮ると循環が断たれ、漁業は崩壊する恐れがあると強調しました。
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また全国各地にみられる里山と里地、里海をうまく連環させようという動きを報告、特に海辺に打ち上げられるとゴミとして焼却されてしまう海藻類について、かつては畑にまいて肥料として活用していた事例を紹介。農協主導による科学肥料中心の農業経営で廃れたが、海藻肥料は味がよくなり農薬を減らす効果があるとして、海藻肥料の商品化で生業を成り立たせようとするグループの動きなどを紹介。全国各地で海藻と湧水を利用した一次産業活性化の動きが出ている一方、地面に雨水を浸透させようとしてきた昔からの知恵を忘れてコンクリートで地面を覆うなど日本は高度成長期以来連環を壊してきており、このままでは一次産業は成り立たなくなると批判しました。
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なお勉強会では申込時に事前の質問が何件かありました。不手際で当日、回答できませんでしたが、講師の先生方に改めて回答をいただきましたので記載します。

Q 教訓や先人の知恵を伝え、学ぶ方法には、書籍、講演、ビデオなどがありますが、それらに加えて、ゲーミングワークショップもあり得ると思っています。その可能性を、模索していきたいです。どのような方法、手段が、ふさわしいとお考えですか?
A(新井章吾氏)私は、現場に出て学ぶことが最も重要だと考えています。現場に出て自分の考えが少しできてから、書籍、講演、ビデオなどで学ぶ方が、個性的な見方が育ちやすいからです。ゲーミングワークショップについては、例えば砂浜の表面近くを流れる地下水の不思議に気付いた子供が、垂直方向に穴を掘って、ゲームでもするように答えを見つける行動を取ることがあります。以下は、小さな子供が自主的に不思議を解き明かすために、掘った穴だと見られます。こんな謎解きをした後に、お話を聞いてもらうことは、教訓や先人の知恵を伝え、学ぶ方法として、ふさわしいと確信しています。
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Q 現在「バッファゾーンを生かす」方式で防災を行っている地域は(東北に限らず)あるのでしょうか。また津波で沿岸部のすべてが流されてしまった地域で自然の力を借りる防災をしようとした場合、植物の生長を待つなど相当な時間がかかるかと思います。その間の防災としては、避難場所の確保や避難ルートを作るなどいったことしかできないのでしょうか。
A(廣瀬俊介氏)私が知るところでは「バッファゾーンを生かす」方式で防災を行うことに決めた地域として、以下の2箇所が挙げられます。
拙ブログ東北風景ノート「東日本大震災津波等被災地における環境形成技術支援」*気仙沼市唐桑町舞根地区の情報を記載。防潮堤は建設せず面的防災と避難路充実が組み合わされています。

防潮堤いらない」気仙沼・前浜地区住民が結論(2014/08/09 河北新報)

なお、防潮林の高木群が津波減勢効果を発揮した例として、石巻市の長浜海岸防潮林や仙台海岸の防潮林各所などが挙げられますが、緩勾配の地形が海中から海浜へ連続してあれば、これらの面を広がりながら進むことで津波が減勢されます。
また、仙台海岸の貞山堀のような複数の自然河川の河口を海岸線と並行して結ぶ運河(横川という呼ばれ方も一般的です)や湿地等の水面が、津波減勢効果を発揮したことも、仙台市やいわき市で報告されています。
防潮林育成には時間がかかりますから、その効果はすぐに「面的防災」と組み合わせられませんが、まず地形と水面を生かした「面的防災」は成り立ちます。これに、ご指摘の避難路充実を合わせることが、災害への備えと平時の生態系サーヴィス確保の双方を両立する持続可能な被災地再興の基本であると考えます。

Q 防潮堤との併用が考えられている高台住宅建築について。 陸前高田の14メートル、気仙沼の3メートル(?)とも。(スポット的にではなく)全市域をそれだけの高さにすることはいままで、実績のある工法なのか?地盤沈下の恐れなどは十分確かめられているのか?
A(廣瀬俊介氏)防潮堤と住宅用地(宅盤)の兼用については、どこでどのような計画があるのか知りません。類例として、陸前高田市や大槌町で進められる住宅地の嵩上げについて、わかる範囲でお答えいたします。実績は、海岸部に限らず内陸部においても盛土による宅盤造成を郊外住宅地でしばしば行ってきていますから、あると言えます。しかし、東日本大震災では、丘陵地斜面を概ね切土して造成した折立団地で、沢を埋めた(盛土をして周囲の地盤と高さを揃えた)部分だけが列状に崩落しています。また、埋め立て地もその類例に当たりますが、支持地盤まで杭基礎を到達させない限りは、浦安市などで液状化被害を受けて家屋が傾くなどしてしまっています。
「地盤沈下の恐れなどは十分確かめられているのか?」と問われれば、事業主体は「している」と答えると思います。しかし、あるモデルを使ってシミュレーションを行っても、それとは異なる状態が発生した時に、造成地盤が安定の限界値を超えて破壊される可能性は必ず残ります。
究極的に、環太平洋火山帯に位置し4枚のプレートが出合うことで形成された日本列島は、その地質・地形構造的特徴と共に海洋国家であり温帯モンスーン気候下に属することで周囲の海からの水供給が著しく、自然災害に非常に遭いやすくどうしても脆弱性の拭えない土地であると言えます。
しかしそれでも、絶対に安全と言い切ることは不可能とはいえ、安全性を高める手だては、後世の人びとのために今からでも打っていかねばならないと私は考えています。その基本は、列島の形成と各所の地形発達を把握し、安全度の高い方法を採用して(崩落の可能性の低い岩盤上、高台を居住地とする/河川・海岸平野のように土砂が堆積しているだけの土地は洪水・高潮・津波に遭いやすく地盤も軟弱であり居住すべきでない/高台に居住するにしてもみだりに地形改変を行わない/放置された人工林には治山・治水面に問題があるため、公益的措置として健全と植物が育ち地盤の表層崩壊を起こしにくい状態に再生・管理する。/これらの措置こそ、雇用創出・経済調整を目的とした公共事業の項目とすべき)土地利用を行うことへの、方向転換であると考えます。
その根拠法に利用できそうな法律の一つに、景観法があります。京都市は、それに基づき景観形成計画を立て、「地価を下げずに私有財産の価値を守ること」を理由として、「大文字焼き」への眺望を阻害す既存超高層住宅の建て替え時に、大幅に高さ制限をしてしまう(既存建物の高さより下げねばならない)などの措置を実施しています。日本の景観・環境行政史において画期的と目されているのですが、その応用が危険区域からの家屋移転誘導措置等に応用可能と考えられます。

講演者プロフィール(事前に本人から示されたものをそのまま採録しました)
阿部正人(あべ・まさひと)公立小学校教諭。ESD(持続可能な開発のための共育)に関心を持ち、気仙沼市立面瀬小学校、鹿折小学校、南三陸町立伊里前小学校で実践してきた。社会教育におけるESDにも関心を寄せている。震災後は、小泉地区に復旧される14.7メートルの巨大防潮堤計画に疑問を持ち、多くの研究会等に参加し、自らも話題提供をしてきた。地域にあった防災施設の建設を研究するために、津谷川と中島海岸の震災復旧事業を学び合う会の立ち上げに関わる。現在事務局長。

廣瀬俊介(ひろせ・しゅんすけ)環境デザイナー。日本地理学会会員。東日本大震災以降、環境デザインを「持続可能な土地・資源利用の一環となる環境形成技術」と再定義し、東北、北関東の津波等被災地復興構想に業務、奉仕活動としてたずさわる。

新井章吾(あらい・しょうご)水産と環境のコンサルタント。景観生態学、経済的に循環する循環型社会の再構築に関心を持ち、里山や魚つき林起源の「液肥」と酸素を含む湧水を活用することで、農地、河川、湖沼、干潟、サンゴ礁の再生をしたいと考えている。降水の浸透と浅場における湧出現象の修復を啓蒙するため、海底湧水を採水しての塩づくり体験に協力している。また未利用海藻の商品化、打ち上げ海藻の肥料としての活用、磯焼け対策の活動をしている。

田崎耕次(たさき・こうじ)元共同通信記者。一般社団法人共同通信社科学部長、編集局次長、札幌支社長などを経て、今年7月からフリーのジャーナリストに。東日本大震災後の2011年5月、神奈川県などの共同事業「かながわ東日本大震災ボランティアステーション事業」に広報チームリーダーとして参加。同事業が2013年3月いっぱいで終了したのを受け、新たに「かながわ311ネットワーク」の結成に参加、監事として活動している。

記:田崎耕次