【支援先紹介】気仙沼「海べの森をつくろう会」

宮城県気仙沼市で、今後連携していこうと考えている団体「海べの森をつくろう会」をご紹介します。
「海べの森をつくろう会」の代表は、菅原信治さん。平成24年1月、「森づくりから未来を見つめる」をコンセプトに地元の有志で立ち上がりました。宮城県気仙沼市波路上(はじかみ)を主な拠点に活動しています。波路上は、気仙沼市階上(はしかみ)地区内に位置しています。

階上地区には有名な潮吹き岩がある岩井崎、快水浴場百選にも選ばれたお伊勢浜海水浴場などがあります。震災後の岩井崎には竜の形に見えると評判になった松があります。
岩井崎龍

震災前の岩井崎
震災前のお伊勢浜

階上地区の被害も甚大で、未だ帰らぬ人も多くいらっしゃいます。周辺の田んぼは、7割ほどが津波の被害を受け、家屋は流されてしまいました。東日本大震災で被災した荒涼たる風景の中、震災前の良き風景に思いを馳せ、そうした中で、沿岸部に残る大津波にも負けなかった樹木の存在、流された人々の命をつなぎ、生還させた木々の存在に気づきました。過去の記録を調べ、明治三陸の大津波の時も同じように、木々につかまり命をつなぎ生還した人がいたことを知ったそうです。

その後、先人達が被災地に欅の木々を植樹し、避難道の建設に尽力した記録も見つけました。海と生きるとはどういうことなのか?それとともに、この階上の美しい自然を本気で守りたいと考える人たちによって「海べの森をつくろう会」が設立されたのです。
山に入り植樹の為の苗木を採取し、又、木々の種子を採取し苗を育て、植樹に備えた様々な地道な活動を行っています。
平成24年10月に植樹されたところで、説明を伺っています。中央の白ジャンパーの方が、代表の菅原信治さんです。
植樹された土地は、一家三人が暮されていましたが全員津波の犠牲になり、家系が途絶えました。ご親戚の強い鎮魂の想いから植樹地として土地の使用許可をいただき、タブやシラカシの苗木が植えられています。
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津波で残った一本の木から彫り出された昇龍が奥の方に見えます。
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昇龍はチェーンソーアートの世界チャンピオンの手によるとのことでした。
龍

植樹地からほど近くには「羅漢かかし像」。津波でもがれた腕を懸命に胸の辺りに抱きよせ「自分も傷ついたが、みんな頑張れ」と力強く祈る孤高のかかしです。
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長野県の彫刻家の方が、「津波で亡くなった地域住民の供養と、生き残った人たちが不屈であってほしい」という祈りを込めて制作し、地福寺さんに寄贈したものです。
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連休後半に訪れた復興応援バス有志便は、「今年はお伊勢浜海水浴場の海開きをしたい。海岸清掃とともに、ダイバーの人たちが海底から引き揚げたがれきの分別作業を手伝ってもらえないか。また、植樹を行った場所の草取りもお願いしたい」という依頼を受けてのものでした。このとき、海中作業を担当したダイバーさんたちは「海をつくる会」横浜・金沢湾環境ダイビングの方たち、でした。

地福寺さんの境内には「祈りの広場」慰霊碑があります。仏像が津波の高さとのこと。被災後、復旧のお手伝いに神奈川のボランティアが入ったそうで、ご縁を感じました。

がれき置き場も近くにあり、延々と続くがれきの山は生活をしていた証し。気仙沼向洋高校の校庭には、がれき処分場が建設され、24時間稼働し、真っ白な水蒸気が立ち昇っています。目を背けたくなるような容赦ない現実がここにはあります。
このような環境下で代表の菅原さんはじめ、副代表の片山さん、三浦さん、地福寺の片山秀光住職から「沿岸部の景観を守る防潮林の形成を目指したい」「過去の記録を学び直し、防災に強い街づくりをしたい。そのためにも森をつくりたい」そして「お伊勢浜海水浴場を復活させたい」という強い思いを伺いました。

これまでのガテン系の支援活動は終息を迎えつつありますが、復興までにはまだまだ時間がかかることは容易に想像できます。震災後3年目となり、これからは地元の人たちに寄り添った活動が求められるのだと思います。それに値する活動を展開している「海べの森をつくろう会」に、神奈川から継続支援をしていきたいという思いを強く持ちました。
(担当理事 谷本恵子記)

【参考】
震災直後の階上地区周辺の動画

地福寺の住職 片山さんの記事 片山さんの節語り説法ユニットカッサバ(動画 音が出ます).

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